牡蠣養殖

宮城の牡蠣養殖

東日本大震災前、平成22年の宮城県の牡蠣の収穫量はおよそ年間32,000トン(※1,2)と、広島県に続いて全国第2位を誇っていました。また、養殖にかかせない「種牡蠣」の販売量はおよそ年間670千連(※1)と、広島県を抜いて全国第1位でした。

この種牡蠣は、北海道、岩手、三重、新潟、岡山、福岡などの他県にも出荷されています。以前は、フランスやアメリカにも出荷されていたほどです(※3)。有名な話ですが、1970年にフランスで牡蠣の病気が蔓延した時、宮城県の種牡蠣を輸入すると、病気をものともせず成長したというほどです。

震災に伴う津波では、宮城県の牡蠣養殖施設は壊滅的な被害を受けました。牡蠣の収穫量は、震災のあった平成23年がおよそ年間3,400トン(※1,2)でした。しかし、平成24年はおよそ年間6,500トン(※1,2)、平成25年はおよそ年間15,000トン(※1,2)と、回復しつつあります。

※1:「海面漁業生産統計調査」(漁業・養殖業生産統計)(農林水産省)
(http://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/kaimen_gyosei/)(2015年11月24日に利用)
※2:殻つき換算 養殖年(7月〜翌年6月)
※3:「水産業振興課水産関係用語集(種ガキ)」(宮城県水産業振興課)
(http://www.pref.miyagi.jp/soshiki/suishin/yogo3102.html)(2015年11月24日に利用)

震災後の松島湾 ー 漁師のお話から ー

松島湾で牡蠣養殖をしている漁師にお話を聞くと、漁師は経験や勘で作業をしており、「今年どれくらい採れるか予測できる」そうです。しかし、震災後はその予測とは異なることが起きていると言います。平成24年には厳しい残暑が原因で高水温となったために起きた牡蠣の大量へい死、平成26年には、数十年に一度と言われるほどの良作。

「震災後、明らかに海の様子が変化した」と漁師は言います。原因を探ろうにも、材料は漁師の作業日誌や、宮城県の水産技術総合センターで公開している「松島湾」という大きなくくりでの水温や比重などのデータだけで、非常に困難です。作業日誌も、つけている漁師とつけていない漁師がいるため、分析は容易ではありません。漁師も海の状態、特に自分の漁場の状態を把握したいため、データを知りたいと話していました。

牡蠣養殖の課題

震災による海の変化もさることながら、松島湾の牡蠣養殖にはいくつかの課題があります。牡蠣は海水温が30℃を越えるとへい死の可能性が上がりますが、松島湾では牡蠣棚の移動ができないため、たとえ高水温を確認しても対策が練れず、覚悟を決めるしかないと、漁師は言います。

また、牡蠣は、成長を抑制して抵抗力をつけるために沖出しを行います。松島湾の沖出しは例年7月頃ですが、早く出し過ぎると、ムラサキイガイという二枚貝の幼生が大量に付着して生育を妨げてしまいます。最悪、牡蠣がへい死してしまうため、沖出しする漁場の海水をくみ、ムラサキイガイの幼生がいなくなったのを確認してからでないと沖出しができません。